タミヤ製ホンダF‐1&HONDA-RA272!ホンダミュージアム
スポンサーリンク
タミヤ模型のプラモデルで“ホンダF-1”というものがあります。
ずいぶんと古いプラモデルですが、発売当時はそのころでは当たり前の
モーターで走行するモーターライズ仕様でした。
これが問題で、結構部品数が多くて完成すると模型の重量で走行しません(笑)
走ってもノロノロで、すぐに止まります。
このF-1シリーズでは後に発売された“マトラ”もそうでした。
まあ1/12スケールなので飾っておいた方が良いのですが、プラモデルと
言えば、走らせて遊ぶのが主流の時代でしたからね。
ホンダF-1 RA272
1965年10月24日、晴天、メキシコシティ郊外
ロドリゲスサーキット。
南国の焼けつくような太陽の光を跳ね返すかのように
純白のボディを輝かせたマシンが、かん高いV12気筒
エンジンの音を響かせながら疾走していた。
1961年から始められた1.5リッターF-1最後のレース
メキシコGPは、リッチー・ギンサーがドライブする
ホンダF-1が1週目からトップを奪い、2位の
ダン・ガーニーの乗るブラバムに300m以上の差をつけて
独走していた。
56週、ギンサーのホンダは1分56秒のラップレコードを
記録し、独走態走を固めていった。
しかし57週、ガーニーはギンサーの記録を上回る1分
55秒48のラップレコードを記録し、じりじりとその
差をつめていた。
しかしギンサーのペースは安定していた。
まったく余裕のある走行ぶりであり、よほどの事態がない限り
ギンサーの1位は確定的であった。
やがて最後ラップ、最終コーナーを抜けたギンサーは
2位ガーニーに約150mの差をつけ、最初にチェッカーフラッグを
受けたのである。
ホンダが日本のメーカーとして初めてF-1レースに参加した
のは、1964年シーズンの半ばドイツGPからだった。
この最初のマシンRA271は一度も入賞を果たさなかったが
横置V12気筒エンジンから絞り出されるパワーは、F-1
マシン中もっとも強力なものであった。
そして1965年、前年ホンダF-1を操ったロニー・バックナムに
加えてリッチー・ギンサーを新しくドライバーに迎え、マシーンも
改良型のRA272となってホンダは再度F-1レースに挑戦した。
しかしベルギーGPでの6位入賞以外はさしたる成績も示さず、
1.5リッター最後のレース、土壇場とも言えるメキシコGPを
迎えたのであった。
ホンダにとって、このレースでの勝利はまさに何者にもかえがた
かったであろう。
レースに参加して以来2年、通算11レース目の勝利であった。
もし1966年も1.5リッターF-1が続けられたならば、
230HP/12,000rpmのエンジンのハイパワーからみても、
また年々改良が重ねられたシャーシからみても、チャンピオンと
なる可能性が最も強いマシンであったと言われた。
スポンサーリンク
こちらは栃木県もてぎのホンダミュージアムに展示されていた
ホンダF-1です。
ホンダF-1 RA272
運転席の様子
当時はF-1マシンなんてテレビか雑誌で見るぐらいでしたが、
今ではミュージアムで見られるので最高です!
プラモデルを作る時の参考にと、写真を撮りまくって来ましたが
本当に作るのか・・・自分でもわかりません。
にほんブログ村